誕生寺
浄土宗、那珂郡大宮町上岩瀬にあり御成山東泉院誕生寺。了誉上人誕生の地である。上人の弟子了智上人(常福寺三世)が永正8年(1511)ここに一寺を建立した。その後寛文2年(1662)に光明寺と称したが、徳川光圀が冏師を追慕して誕生寺と改称した。本堂の傍らに「智水の井」とよばれる井泉があり、上人誕生のとき産湯に用いられたといい、「誕生水」ともいう。近郊の人々も上人の智徳にあやかろうと産児の産湯に用いられるようになった。
香仙寺
久慈郡金砂郷村にあり、浄土宗で不軽山荘厳院香仙寺。永享4年(1432)了智上人の開山である。了誉上人が戦禍を避け、この地阿弥陀山の洞窟で「決疑鈔」直牒十巻を著した。本堂の東にその洞窟「直牒洞」がある。香仙寺ホームページ
菊蓮寺
久慈郡金砂郷村上宮河にあり、浄土宗で舎利山三光院菊蓮寺。大同2年(807)の開基という。寛正6年(1465)の中興開山は菊蓮杜覚誉上人で常福寺了誉上人の法弟である。常福寺第七十世覚門上人の法弟三人の一人は、常福寺第七十一世覚順上人であり、他の一人である覚存上人が住職となった寺院である。もう一人は秀玉上人で、福島県塙町安楽寺の住職となった。本寺は金砂権現を鎮守としている。
引接寺
浄土宗 那珂郡那珂町額田南郷にあり、光圀山摂取院引接寺。元禄9年(1696)徳川光圀が心岸寺を箕村(金砂郷村)に移した跡へ、向山の常照山浄鑑院常福寺の末寺として建立した。常福寺第三世益誉上人の開山である。浄鑑院は貞享4年(1687)に光圀の命により、武田信吉(万千代)、徳川頼房の菩提を弔うため、常澄村から額田に創建された。宝永5年(1708)常福寺の名称を移動し、常照山常福寺と称し、瓜連常福寺の法式、檀林、寺格末寺49ケ寺の僧150人をことごとくここに移し、瓜連には院代をして寺務を管理させた時期があった。文政年中(1818〜29)に火災に遭い焼失し、明治元年(1868)瓜連常福寺に移転になった。引接寺ホームページ